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児童労働を学ぶブログシリーズ【Child to Read】第四回:明治の産業革命期の日本の児童労働。イギリスとは違い、年少者の労働者は少なく、またほとんどが少女だった理由とは?

執筆:大川聖也

 

この記事のまとめ

“歴史的に、日本でも昔から児童労働は存在していました。また、明治時代の産業革命期には、工場で多くの子どもが働きました。しかし、産業革命が起きたイギリスと比べ、年少者の児童労働者がそこまで多くなかった事および、少女が働く割合が多かったというのが日本の児童労働の特徴です。

少女が多かった原因は、子守制度等の少女が働くシステムがすでにあったこと、家族のために学業を犠牲にして少女が働く家族観があったこと、などがあげられます。

年少者が比較的少なかった原因には、英国は一家全員で働くが、日本では年季奉公で家から出て働く為、ある程度の年齢でないと難しかったことや、小さい子どもを働かせないという日本の家族観があったためです。

児童労働の規制や取り締まりのための法律が制定される前には、子どもへの長時間労働や監禁、体罰などの劣悪な労働環境がありました。これらの実態が報道を通じて世に出され、それに対して声を上げる動きがみられ徐々に社会問題化し、法律の制定にいたりました。

明治時代では、産業革命を経験し、少女たちが多く年少者が少ないという特徴的な労働供給を有し、明治時代の終わりごろには、特に子どもたちへの劣悪な労働環境が非難され始めたのでした。“

 

はじめに

児童労働といえば、発展途上国の出来事、と想像する方が多いと思います。しかし、明治時代、文明開化や産業革命を経験した近代日本においても、児童労働は存在しました。今回の投稿では、いくつかの公開されている研究論文をもとに、特に明治時代、産業革命期の日本における児童労働の実態について投稿します。

 

明治時代以前の日本での児童労働

-児童労働自体は、日本でも古くから存在していた-

藤野(2011年)(下記参考文献リスト※1)によると、鎌倉時代にあたる12世紀ごろの日本では、貧困や飢饉から、子どもが売られてしまうのは日常茶飯事で、組織的な人身売買が行われていました。売られた子どもたちは、労働不足が深刻な辺境地に売られていきました。また、16世紀にポルトガルとの貿易が盛んになると、今度は海外に奴隷として輸出される日本人も多く出てきました。また、(※2)多くの日本人女性が、性奴隷として、海外に輸出されていた、とも言われています。

 

-政府が厳しく取り締まり、奉公制度や遊女、子守制度などが確立される-

(※1)16世紀の終わりごろから、政府は人身売買を行うものには死罪を厳罰を与えるようになりました。その結果、子どもを売る「取引」ではなく、子どもが労働力を提供するシステムの確立が進んでいきました。

具体的には、年季奉公に代表される奉公制度が誕生し、子どもは衣食住を提供されながら、長期間住み込みで働くようになりました。一定の期間が終わると子どもたちは家族のもとに帰りました。その代わり、子どもを送り出す親たちは、お金を前借で借りることができました。多くの子どもがいた当時、生活費を下げる「口減らし」の目的で、奉公に出る子どもが多くいました。

ちなみに、このころ奉公に出る前に、寺子屋で教育を受けるというのが一般的であり、まだ江戸時代だった19世紀、識字率は50%を超えていたとも言われています。(※5)

(※1)また、遊女という職業も確立されました。農村の少女たちが売られていきました。遊女は他の奉公と異なり、親元へ戻ることはなく、人身売買の色合いも残していました。なぜ遊女だけは売られることができたかというと、政府管理下の遊郭に集めることによって、高額なで安定した税収が期待できたからです。

18世紀になると、日本国内でも貧富の差が大きくなるようになり、裕福な人々は貧しい家庭の少女を自分たちの赤ちゃんの子守として雇うようになりました。遊郭から子守へ、少女の奉公先が変わりました。

 

明治時代以降の日本

-低賃金労働者の需要増、堕胎の禁止、職業選択の自由-

(※1)産業革命によって、低賃金で働ける単純労働者の需要が大きく増加しました。また、明治時代に入り、子どもを中絶することが法律で禁止されました。中絶の禁止によって男女の比が均等になるようになりました。1732年には男女の出生比が100:86.6のに対し、1872年には100:97.7になっています。また、出生率も1872年に16.3%だったものが、1889年には30.7%になりました。また、明治以降、士農工商制度が廃止され、職業選択が自由になりました。

-働く子どもたちの男女比や人数、業種-

榎(2012)(※3)によると、20歳以下の子どもは、男子はおよそ8万人、女子はおよそ29万人いました。つまり、ほとんどが女性だったのです。また、女子のうち、87%は紡績や製糸、織物工場で働いており、中でも紡績工場で多く働きました。

 

なぜ若年女性たちが工場労働者の中心を担ったのか?

産業革命期、働く子どものほとんどが女子でした。しかし、時の欧米諸国の主産業も織物産業であり、紡績業等が一般的なのは日本と同じ。それなのにどうして日本では女子の働く割合が男子より高かったのか、なぜ男子は女子より働く割合が低かったのでしょうか?

-年季奉公制度が浸透していた-

イギリスの産業革命期、雇用は主に「家族」単位でした。親も働いている工場で、子どもたちも働いたのです。(※4)

しかし、日本では、年季奉公などの歴史的経緯があり、子どもが親元から離れて住み込みで働く事が一般的であった事、および紡績工場などの作業は手先の器用さが求められ、主に女性が募集された事、が産業革命期多くの少女たちが採用された背景です。(※1)

-家族観も影響-

欧米と異なり、日本では、家族において男性が外で働き、女性は家で家事をする、夫や父親が収入が足りない時は、女性も自分を犠牲にして働く、といった価値観がありました。その結果、女子に関しては、働ける年齢になると、学業をやめる少女が多かったのです。こういった家族観も、女性労働者が多かった原因となりました。(※1)

 

欧米と比べ、年少者の数は多くなかった

(左:日本の産業革命期の児童労働の割合、 右:イングランド・ウェールズの産業革命期の児童労働の割合)

日本だと1914年時点で14歳以下の就業率は男女それぞれ3%と6%、イギリスだと、1911年時点で男女それぞれ18.3%と10.4%だった。イギリスのほうが、何十年も先に、子どもの労働環境を守る工場法が整備されていたにもかかわらず、である。なぜ年少の子どもが働く割合が日本で少なかったのでしょうか?(※6)

-日本の家族観が理由-

製糸工場などではより精密な作業が必要であり、小さな子供を採用しても利益につながらなかったことも挙げられますが、もう一つ、日本の家族観も影響していると言います。家族の中でまずは父親が働き、それでも足りない場合母親が働き、その後、それでも足りない場合は12歳以上の子どもが出稼ぎで働き、最終手段として12歳以下の子どもが働くという家族観がありました。(※1)

-出稼ぎにより、年少者は採用されづらかった-

しかし、12歳以下の子どもが親元から離れて出稼ぎで働く事は、あまり現実出来ではないので、年季奉公制度が日本のシステムとして確立されていたことが大きな要因の一つではないでしょうか。(※1)

 

子どもや女工の劣悪な労働条件と工場法の制定

子どもの労働条件はというと、雇用主や監督者から、長時間労働や、体罰、自由を無くすための監禁や食事を抜く等、最低の労働条件に該当するケースが多く発生しました。これらは、年少者だけでなく、12歳以上20歳未満の、特に女性の労働者へ横行しました。(※3)

こういった状況は、たびたび報道を通じて社会に知れ渡るようになりました。1901年に、警察による工場への調査が行われるきっかけとなり、労働者を保護するべき、という認識が強まりました。

これをきっかけとし、また、国際社会からの圧力もあり、工場法が1911年に制定されました。当時まだまだ、労働者への保護がされていない時代、明治時代ではその礎となる法律の制定がされたばかりでした。

 

まとめ

第一次産業革命により急速な時代の変化を経験した日本。それまで一般的であった年季奉公制度が大きく関係し、女性の労働者が多くまた、年少者が比較的少ないという特徴的な児童労働を経験しました。しかし、イギリスと同様、雇用主から労働者への虐待が多発し、権利保護の観点から法律の制定が叫ばれ始めた時代でした。

 

最後に

当団体は、今も世界で残る児童労働に取り組むため、現在インドのスラムに住む貧困層の子どもたちや働く子どもたちに公立学校入学のための教育支援を行っています。

子どもたちを支援して頂くためのマンスリーサポーターを募集しています。

マンスリーサポータ詳細はこちら

https://actjapan.net/whatwecan

 

参考文献

※1 藤野 敦子著 中村まり・山形辰史編, 「第2章 日本の児童労働 -歴史に見る児童労働の経済メカニズム-」, 2011年, 『児童労働根絶に向けた多面的アプローチ:中間報告』調査研究報告書, アジア経済研究所 https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Download/Report/2010/pdf/2010_429_02.pdf(2021年3月5日参照)

※2 よこい りょうこ,  (2019年11月), 「日本史では語られない「日本人女性の性奴隷」がポルトガル人の間で売買されていた史実と「弥助」や豊臣秀吉との関係」Multilingirl, https://www.multilingirl.com/2018/02/japanese-slaves.html (2021年3月5日参照)

※3 榎 一江 著,「近代日本と児童労働,-年少労働者の保護と供給をめぐって-」,2012年, 大原社会問題研究所雑誌, №646/2012.8

https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10199945_po_646-03.pdf?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F10199945&contentNo=1&alternativeNo=&__lang=ja

(2021年3月5日参照)

※4 冨田洋三, (2009年)「産業革命と女性労働」,実践女子大学 生活科学部紀要第 46 号,85 ~ 101,実践女子大学

https://core.ac.uk/download/pdf/235275814.pdf(2021年3月5日参照)

※5 准将, (2017年1月), 【江戸時代を学ぶ】「寺子屋」の実態 第一回, Kijidasu!, https://kijidasu.com/?p=41256(URL)(2021年3月5日参照)

※6 UNICEF International Child Development Centre. (1996). Child Labour in Historical Perspective -1800-1985- Case Studies From Europe, Japan and Colombia https://www.unicef-irc.org/publications/pdf/hisper_childlabour_low.pdf

(2021年3月5日参照)